【感想】特別展 佐竹氏800年の歴史と文化

歴史

「水戸の梅まつり」の次は、歴史館の特別展「佐竹氏800年の歴史と文化 」へ

先日、水戸の梅まつりを見に行きました。今年は例年よりかなり早い開花です。
おかげさまで、紅白の濃淡の変化や、梅の花びらと木の幹との対比などを楽しむことができました。

今回は「水戸の梅まつり」を楽しんだ後におすすめの観光スポットである「歴史館」と現在開催中の特別展「佐竹氏800年の歴史と文化 」をご紹介していきます。

穴場スポット「歴史館」について

偕楽園から歩いて10分以内のところに、「歴史館」とよばれる茨城県立歴史館があります。
歴史館には有料ゾーンと無料ゾーンがあります。
無料ゾーンでは、広い庭園と移築された江戸時代の農家の建物や明治時代の校舎があります。ここでは静かな空間を満喫し散策を楽しむことができます。秋は銀杏の並木がきれいなところです。
無料ゾーンでも楽しめますが、今日は有料ゾーンの歴史館をご紹介したいと思います。

特別展 「佐竹氏―800年の歴史と文化―」

約800年間、武家としてある程度の地位を保ち続けた数少ない一族

歴史館では、特別展「佐竹氏―800年の歴史と文化―」が開催されております。

今回の特別展では、佐竹氏ゆかりの名品などを通して「なぜ佐竹氏は800年間存続できたか?」という秘密に迫った興味深い内容です。

佐竹氏といえば、「鬼義重」の異名で知られる佐竹義重など、戦国大名としての全盛期が浮かんでくるかもしれません。しかし、平安時代末期から明治維新に至るまでの約800年間、ある程度の地位を保ち続けた数少ない武家としても知られております。

私が訪問した日は、幸運にも特別展の企画担当者である飛田英世氏の展示解説日でした。展示解説が非常に興味深い内容でしたので、特に印象に残ったところをご紹介していきたいと思います。

特別展は6部構成:国宝や重要文化財を含む約110点が出品

特別展は次のような6つで構成されており、国宝や重要文化財を含む約110点の佐竹氏ゆかりの史資料が展示されています。

  • 平安末期から鎌倉時代:清和源氏の名門なのに冷遇された鎌倉時代
  • 南北朝時代:鎌倉幕府討伐の波に乗って大出世
  • 室町時代前半:内紛を乗り越え戦国大名へ
  • 室町時代後半、戦国時代:勢力拡大と伊達氏と北条氏との死闘。
  • 安土桃山時代:秀吉配下の大大名から関ヶ原合戦で出羽秋田への転封まで
  • 江戸時代:秋田藩主としての佐竹氏。旧領常陸の編纂事業。各地の佐竹氏の動向。

佐竹氏のシンボル:義重・義宣父子

佐竹義重着用と伝えられる甲冑のレプリカが、特別展示室の前で来館者を迎えます。
展示室に入ると、そこには義重の長男である佐竹義宣の甲冑と肖像画がありました。

佐竹氏の全盛期を支え、そしてピンチをしのいだ佐竹義重・義宣父子は佐竹氏のシンボルともいえるかもしれません。

佐竹氏の祖は、源義家の弟である源義光

平安末期から鎌倉時代のセクションでは、佐竹氏の起源について知ることが出来ます。

佐竹氏の祖は、源義家の弟である源義光です。義光の子孫が現在の茨城県常陸太田市に土着化したのが佐竹氏の起こりと言われております。

特別展では、源義家、源義光の肖像画、そして佐竹義重が作成させた<<源氏系図>>も展示されております。

飛田氏によると、佐竹氏は奥州藤原氏との関係から、当初は頼朝の敵対勢力とみなされていたため、そりが合わず鎌倉時代は冷遇されていたということです。

南北朝時代の名品 <<釈迦如来及両脇侍坐像>>が約120年ぶりに里帰り

佐竹氏は足利尊氏の挙兵に参加し、鎌倉幕府討伐の波に乗ったことで、北朝・足利氏との結びつきを強め、南北朝時代の飛躍につなげました。

次の見どころは、足利氏と佐竹氏の強いつながりを物語る古文書と仏像です。
古文書は国宝に、仏像は国の重要文化財に指定されている貴重なものです。

古文書の方は、「 佐竹義篤請文(東寺百合文書)」で、佐竹義篤が足利幕府の組織である侍所のトップに就いていたことを示す文書です。

仏像の方は、<<釈迦如来及両脇侍坐像>>と呼ばれる(仏師の流派の1つである)院派の仏師の院吉らが制作したものです。

この仏像は南北朝時代を代表する仏像の一つといわれています。この時代を反映した宋風な造作が特徴です。

現在は静岡市方広寺にありますが、制作当時は佐竹氏の菩提寺の清音寺にありました。今回の特別展で約120年ぶりに水戸に里帰りしました。

釈迦如来及両脇侍坐像が足利氏との関係を示す証拠となりうるのか?

文書は比較的わかりやすい事例でしたが、それではなぜこの仏像が足利氏との関係を示す証拠となりうるのか?

飛田氏によると、この仏像は院派(仏師の流派の1つ)が制作したことが関係あるそうです。

当時、院派仏師と足利尊氏との関係が深く、院派仏師による造仏事業が足利尊氏に近い勢力にも展開されていました。

<<釈迦如来及両脇侍坐像>>もその展開の一環であるとすれば、足利氏との深い関係を示す証拠の1つになるそうです。

佐竹氏一門が輩出した宗教界の大物:雪村と普光

戦国時代の佐竹氏は、内紛や伊達政宗らとの抗争がよく知られております。その一方で、佐竹氏一門はこの時期に2人の優れた宗教家を輩出しております。

雪村:禅僧であり画僧

まず一人目は禅僧であり画僧としても知られる雪村です。

見どころは<<欠伸布袋・紅白梅図>>です。

一つのスタイルにこだわらない様々な作品を生み出した雪村は、尾形光琳にも影響を与えたともいわれております。

尾形光琳の<<紅白梅図屏風>>は、 雪村の<<欠伸布袋・紅白梅図>>から着想を得たという説もあるということです。

普光:時宗の高僧

2人めは、時宗の僧である普光です。

普光は、時宗の布教や箱根駅伝の途中にでてくる遊行寺の復興にも尽力したそうです。

ゆかりの作品のうち、佐竹氏が寄贈した元代の青磁が目を引きます。

飛田氏によると、もし文化財指定されれば国宝級の名品ということです。

佐竹氏の経済力の秘密は塩と金(ゴールド)にあり

次にご紹介くださったのは佐竹氏の経済力の源泉に迫った研究成果のコーナーです。
佐竹氏を支えた経済的基盤には、塩と金(ゴールド)があるということです。

塩については、15世紀の村松白根遺跡などから、製塩を通じて塩相場を支配していたものと推測されております。

金(ゴールド)については、砂金の採取から始まり、平安時代末期から鎌倉時代に金山開発が始まったとみられております。金山開発と経営が本格化したのは戦国時代に入ってからだそうです。

このような経済力が、関東屈指の鉄砲隊を組織し、さらに後に豊臣大名として課せられる負担に耐える助けになっていたことが理解できました。

佐竹氏の経済力を物語る資料として、金箔が貼られた瓦の説明もしてくださいました。金箔の瓦は、伏見城下と聚楽第城下の佐竹氏の屋敷とみられる跡から出土したものです。

豊臣政権下で屈指の大大名だった佐竹氏は、一等地を割り当てられていたそうです。

飛田氏の「秀吉と付き合うにはカネがかかった」という言葉が腑に落ちました。

石田三成に始まり石田三成に終わった常陸佐竹氏54万石の栄華

内紛を克服した佐竹氏は、室町時代後半・戦国時代にかけて勢力拡大をしていましたが、それに立ちはだかったのは、奥州米沢の伊達氏と南関東の北条氏でした。

佐竹氏は、南東北をめぐる伊達政宗との抗争に敗北寸前でしたが、秀吉の小田原出陣は状況を好転する契機となりました。

佐竹義宣と秀吉とのつなぎ役になったのが石田三成でした。秀吉との良好な関係構築は、佐竹氏の支配領域の拡大をもたらし、豊臣政権屈指の54万石の大大名となる礎になりました。

しかし、秀吉の死後に状況が一変します。
三成と親しかったといわれている佐竹義宣の関ヶ原合戦での曖昧な態度は、徳川家康から、減封を伴う出羽秋田への国替えを命じられる原因となります。

三成が常陸佐竹氏のキーパーソンの一人ともいえるかもしれません。

その後の佐竹氏

その後、秋田藩主として徳川将軍家からの信頼回復を得るために、大坂の陣では徳川方として奮戦します。
その活躍もあって、佐竹義宣は徳川秀忠から金象嵌の鉄砲を拝領します。
それが今回出品されている<<金象嵌歌人之御筒>>です。
鉄砲拝領は、秀忠からの信頼を示すものといわれております。

その後、佐竹義処によって初められた旧領常陸の調査事業を行った史料は、細々と水戸藩との交流が続いたことを示しております。

最後に

茨城の歴史といえば、徳川家や幕末の動乱をイメージすることが多いかもしれませんが、この特別展を通じて、常陸佐竹氏の影響力の大きさを知ることができます。

「特別展 佐竹氏-800年の歴史と文化」は2020年3月22日までの開催です。
「水戸の梅まつり」とあわせて、佐竹氏にまつわる歴史と文化を楽しんで、茨城を満喫する旅も良いかもしれません。

オススメ本

入手が容易で、読みやすい佐竹氏に関する書籍がなかなか見つからなかったのですが、こちらは学術的な論拠に基づいて叙述されているのでおススメできます。もしよろしければご覧ください。

冨山 章一 『奥七郡から出発 茨城・常陸佐竹氏の軌跡 (ニューズブック) 』

雪村に興味のある方はこちらがおすすめです。

小川 知二 『もっと知りたい雪村 ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 』

ちなみに、下記の参考文献は、この特別展の図録です。こちらは重厚ですがとても読みごたえがあります。

参考文献

茨城県立歴史館編 『令和元年度 特別展 佐竹氏 ー 800年の歴史と文化ー』2020年

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