この記事では、弥生時代から古墳時代に入る3世紀中頃にかけての日本と周辺諸国との関係についての歴史と、その勉強に役立つ本や動画コンテンツをご紹介しております。
古代にさかのぼって、日本列島と朝鮮半島、中国との外交関係とその経緯などに関する学びは、近現代に起きた出来事についての理解も深まるので、おすすめです。
それでは早速、倭の国際社会デビューについて見ていきましょう。
国際社会に登場した倭
日本列島と大陸間の交流の痕跡が多く見られるようになったのは、弥生時代からです。
朝鮮半島と倭の支配拠点だった楽浪郡
弥生前期から中期前半にかけて、対馬や壱岐の人々と朝鮮半島南岸の海を挟んだ人々の交流から、水稲耕作や青銅器、鉄器などが日本列島に受容されていきました。
紀元前108年に、漢王朝は、朝鮮半島北部の支配拠点として楽浪郡を設置します。
楽浪郡の設置は、中国との関係が密接になっていくきっかけとなります。
楽浪郡は、朝鮮半島と倭の交易や交流の中心となり、それぞれの地域とのつながりが強化されます。
日本列島の社会や「クニ」の形成にも影響を与えました。
当時の唯一の文献史料の『漢書』「地理志」には
夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国となる。歳時を以て来り献見すと云う。
という表記があります。
このように、楽浪郡を通じて倭は国際社会に登場することになりました。
九州北部は日本列島の先進地域に
対馬・壱岐経由で九州北部に伝わった先端技術や物資により、九州北部は日本列島の先進地域となります。
中国製の鏡を保有した伊都国や奴国の王は地域の有力者をつなぐ中心となりました。
九州北部の首長は支配の正当性を得るために中国へ朝貢しました。
それを裏付ける代表的な資料が「漢委奴國王」と刻まれた金印です。
鉄の流通と再分配は死活問題だった
倭が国際社会に登場する背景を見ていきましょう。
当時の日本列島における重要な課題に鉄の流通と再分配の問題がありました。
その理由は、鉄は安全保障上重要な戦略的な物資だったからです。
鉄は農業生産性向上の農具、軍事的に優位に立つための鎧や剣などの武器の素材となります。
鉄素材を大量に入手した集団は、周辺諸国に対して優位に立つことができます。
朝鮮半島諸国と倭は鉄素材の確保にしのぎを削っていました。
しかし当時の倭は、戦略物資である鉄素材を自給できませんでした。
原産地の朝鮮半島と倭国の間の交易ルートの安定的な維持は、重要な課題になります。
倭国乱の背景は鉄資源をめぐる争い
当時は、北九州地域が外交・交易の主要な玄関口でした。
北九州地域が、朝鮮半島に全面依存していた鉄資源を独占しておりました。
鉄素材の再配分ルートを巡って、その他の地域が団結して北九州地域に対抗します。
倭国乱は、鉄素材の再配分ルートをめぐる争いも背景にあります。
卑弥呼の擁立は、安定的な鉄資源の供給ルート確保のために、新しい政治的な秩序を必要としたという考え方があります。
卑弥呼の外交
卑弥呼は長期に渡る「倭国乱」を平定し、魏皇帝の明帝から「親魏倭王」の称号と金印紫綬,銅鏡 100 枚を授かります。
そしてその権威を後ろ盾にして国づくりを進めていきます。
その一方で、倭国の小国連合の支配体制は脆弱で、内外で独立的な勢力にさらされている状態でした。
倭国の小国連合は、強い魏の後ろ盾を必要としておりました。
卑弥呼の朝貢はベストタイミングだった
倭と魏の直接的なつながりができたのは、大陸情勢の変化によるものです。
2世紀末ごろに後漢の皇帝は公孫氏に朝鮮半島と倭国のことを委任し、公孫氏は三世紀初めに楽浪郡を南北に分割し南に帯方郡を置きました。
このため、倭と中国王朝の関係は間接的なものでした。
しかし3世紀前半の公孫氏没落・滅亡によって、初めて直接魏の皇帝と謁見することができました。
魏は楽浪郡を奪ったものの、高句麗などとの対立で当時中国東北部や朝鮮半島北部の情勢は不安定で、味方を増やしたい状況でした。
卑弥呼の朝貢はベストタイミングで、魏が東の果の小国の卑弥呼を優遇したのもこのような背景があります。
卑弥呼の朝貢については、卑弥呼の外交感覚の鋭さを評価する考え方と、脆弱な国内事情の打開のためだったという考え方があります。
まとめ
このように弥生時代には、対馬・壱岐と朝鮮半島南部地域の人々との交流は、水稲耕作や青銅器、鉄器の九州北部への流入をもたらします。
こうして、九州北部は、日本列島の先進地域になりました。
農耕社会への変革は、現在に通じる階層社会を成立させます。
紀元前1世紀ごろには楽浪郡を通じて大陸との本格的な交流が始まり、中国を中心とする東アジア世界に日本列島が徐々に組み込まれていきます。
238(景初2)年(*注)に卑弥呼が魏皇帝へ朝貢を行い、「親魏倭王」の称号を授ったのはその象徴的な出来事です。
*注:239(景初3)年説もあります。
古代史の学びは東アジアの課題の理解にもつながる
こうしてみると、現在の私達が知っている中華思想につながる世界観は、すでに2000年以上前から東アジア世界にも影響を与えていたことがわかります。
古代にさかのぼってその経緯などを知っておくと、近現代に起きた出来事の背景理解の助けにもなります。
なお、こちらの記事でも、古代の日本と東アジア周辺諸国との交流について紹介しています。
よろしければ、ご覧ください。
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参考文献リスト
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さらに学びを深めたい方へ、おすすめできる本です。
荒野泰典他編『日本の対外関係1 東アジア世界の成立』吉川弘文館 2010
加藤謙吉他著『NHKさかのぼり日本史 外交篇[10]飛鳥~縄文』NHK出版 2013
高田貫太『海の向こうから見た倭国 』講談社現代新書 2017
河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』中公新書 2018
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